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2009 *09 22 all or nothing 〔3〕

 甲高い仔犬の鳴き声が回廊に響き渡る。それに溜飲を下げたが如く、身に負った傷の半ば以上を治癒させた黒鏖は、冷淡な眼差しで石の壁に凭れ掛かる仔犬の姿を見据える。
続き
 だが、彼が久鷹に注意を払ったのは、そこまで。後は一顧だにせず、ゆらり床の上から起き上がり、傷ついた翼で羽ばたき上がると鎌首もたげて一心に地下へと目掛けて飛び発った。噎せ込み途切れる鳴き声で、それでも彼を戒めるように吠えたてる久鷹の姿も振り切って。
 直後、鳴り響いたのは耳を聾し鼓膜を劈く程の雷声。遅れて、また元の如く血塗れになった翼蛇の身体が回廊に投げ出される。その後から、音もなく地上に姿を現した影があった。
 陽に落ちる翳より尚、昏い影。朧に霞む白い美貌に、漆黒の髪が纏いつく。所作の度、ゆらゆらと揺れる衣も全て黒一色。鍛え抜かれた鋼の刃を、黒漆の鞘に収めたかのように見える男の名は、雷閃。――黒鏖の父、その人であった。
 彼は地下から至る石段の、最後の一段を踏み越えると、続く回廊を一瞥した。右には久鷹が、左には黒鏖が、共に血塗れの姿となって倒れ伏している。もっとも、久鷹に関しては身を汚す血潮に彼自らのものは一滴も含まれていないのだが。それでも雷閃が微か眉を顰めたのは、如何なる心情故か。
 彼は無造作に掲げた左腕を黒鏖に向けて翳すと、そこから迸る雷撃で容赦なく黒鏖を打ち据えた。まだ体勢を整えるどころか朦朧となる意識を定めきるにも至っていなかった黒鏖は、さながら朽ち縄の切れ端の如く簡単に宙に舞い上がる。それを見て眼を剥いたのは、久鷹の方だった。

【続く】

16:18 | SS | 稲葉