「――必要が、あったのか?」
敢えて避けたり逃げたりする必要が、と暗に匂わせ嘯く黒鏖の科白に、久鷹は呆れて物も言えぬ風情で双眼を瞠いた。
刹那、噴き上げたのは、どうしようもない怒りと独占欲、そして歓び。人を試すように嬲るように、我が身を危険に晒してみせる酔狂さに対する目も眩むような憤りと。この男を他の誰にも害させたくないと思う、祈りにも似た切なる気持ちと。これだけの相手に信頼されている、戦力の頭数として認められているのだという嬉しさと。それらは渾然一体となって分かち難く久鷹の腹の底から突き上げ、彼の意識を深く酔わせた。まるで生のままの強い蒸留酒のように。
「――黒鏖、…」
精々、呆れた素振りで吐き出した声は、我ながら妄りがましい喘ぎにしか聴こえなかった。それに恥じ入るように眼を伏せ、視線を反らした久鷹を許さず、黒鏖は彼の顎先を掴み、指で軽く掬い上げた。少しの屈辱に唇を噛み、赤らんだ頬と共に睨む眼差しを向けてくる相手に、黒鏖は愉悦を込めて嗤いかけ、接吻ける顔を寄せた。
「オマエのその手は、俺の為だけに汚せば良い……」
間近に寄った唇から、低く掠れた声で囁かれたのがトドメだった。自分から唇を割って差し出した舌を吸われ、互いの吐息と唾液を絡ませる。喉を滑り落ちる滴は、色濃い血と黒煙の味がした。それを諸共に堕ちる修羅の杯と飲み干して、久鷹は自ら卓上に身を横たえた。
【続く】