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2009 *05 09 トキメキ 〔9〕

 一方、その頃の藤神邸と言えば――…。
続き
「……ダ、メ…だってば。もう師匠、達…、帰って、来る…って――…」
「まだ大丈夫だって。だから、もう一回。もう一回だけ、な?」
 床に延べた布団の上で、飽くなき攻防を続ける一対があった。布団の上で仰向けに組み敷かれ、それでも尚、抗おうと必死で四肢を突っ張らせている黒髪の少女の名は裂黒(さくろ)。彼女の上に覆い被さり、割ろうとしてガードされた膝から更なる先へ腰を進めようとしている獣、もとい青年の名は赤嵐(せきらん)。どちらも、いっそ素っ裸になれと言いたいまでに着乱れた和寝巻き姿である。
 場所は寝間、時間は朝5時、二人は夫婦とあっては十分に彼らが「こう」している資格はあるのだが――何せ天下の藤神邸、ここの朝は顎人宅と並んで朝が早い。もうすでに起き出して水屋に立つ者の気配はするし、寝間の向こうや廊下にも、ぱたぱたと人の行き交う音がする。
 まぁ、家の主が主であるので、寝間から出てこない夫婦が朝も早くから喘ぎ声高らかに睦み合っていたところで、顔色ひとつ変えられないのだが(ちなみに邸で暮らす女性達は、ほぼ全員が同じ父母、つまりは傲嵐と藤神祐子の間に生まれた姉妹だ)。それでも気になるものは気になる。と、裂黒などは思う。また、彼女が気にしているのは、そればかりではない。それと言うのも。
 リィー…ン、と高らかに鈴の音が鳴る。純日本式家屋の藤神邸にはインターホンはおろか、呼び鈴などといった気の利いたものは完備されていない。代わりに鳴るのは所謂、鳴子。張り巡らされた綱に知らずに掛かれば竹が鳴る、アレである。もっとも、そんな前時代的で品のない代物を、これ見よがしに張っておくほど、趣味の悪い家主でもない。藤神家にあるのは、張られた結界への侵入者に反応する、不可視のそれである。音色も常葉(とこは)の娘・五十鈴(いすず)が鋳た鈴の音とあって玲瓏この上なく、生半可な妖物なら霧散するという霊験あらたかな代物である。
 無論、インターホン代わりということは通常の来客、また主人の帰還に際しても鳴らされる(一部、音もなく忍び来たり、音もなく消え失せて帰る御仁も居るが)。その音が鳴ったということは、――…。
「やっべ!」
「バカ! だから言ったのに!」
 取るものも取り敢えず布団から跳ね起きた赤嵐が、片膝を突いた姿勢で縛されるのと、その下からかろうじて身を起こした裂黒が、寝間着の胸元を掻き合わせるのとは、ほとんど同時だった。

【続く】

17:03 | SS | 稲葉