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2009 *05 11 トキメキ 〔11〕

「真人、――…」
 聞く者の抗いを許さぬ魅惑の声で、藤神は我が甥、兼、養子、兼、愛人を呼びつけた。
続き
「……あいよ。」
 抗いきれぬ、そのことにこそ嫌気さす口調で応えた真人は、隠行を解かぬまま、同じ場に気配だけを現した。その彼に、藤神はにべもなく言い放つ。
「陽宮も最近、平和で血の気を持て余してるだろう。――手っ取り早く抜いて来い。」
 閨の相手をしてやるのは、それからだと暗に含んで告げた言葉に、否やの返事はなかった。
 次の瞬間、縛を解かれた赤嵐は逃げる隙もなく鬼の爪に引っ掻けられて連れ出され、庭の奥山の向こうで盛大な倒木の音が鳴り響いた。――盛大な犬科の獣の悲鳴と共に。
 そうしてにっこり微笑した藤神は、当人たっての願いを容れ特別に取ってやった愛弟子に向け、静かに囁いた。
「式神の躾は主人の務め。その世話も然り、と教えたな?」
 常ならぬ優しげな物言いと親切な説明に、むしろ震え上がりながら裂黒はコクコクと頷いた。そんな彼女の前、藤神は鮮やかな仕草で翻した指先から鍼を出し、
「ほら庵、ご飯の時間だよ。行っておいで?」
 鋭い切っ先を幼気な仔虎の首筋に突き立てると、躊躇いなくそれを引き抜いた。
 ビクッ、と仔虎が四肢を突っ張らせたのは、一瞬のこと。硬直は、ただちに細かな痙攣に変わった。同期して沸き起こるのは、メキメキという骨を割り筋を立つ、おぞましい異音。庵が、自らの意ならず我が身の骨格はおろか神経、筋組織までもを変形させられ、なおかつ苦悶に晒されているのだということは、白濁した双眸と瞠られた眦から溢れる大量の涙から知れた。
「庵…っ、――!」
 裂黒の絶叫は、巨大な妖虎の咆哮に掻き消された。
 平屋でありながら屋根裏を取り払ってある都合上、通常よりかなり高い天井に尚、つきなんとする巨大な猛獣を従え、いっそ藤神は悠然と微笑んだ。
「ほら、裂黒。早く庵を宥めて餌を与えてやれ。でないと五体が千々に裂け、消失してしまうぞ?」
 藤神の言葉に、誇張はなかった。十分に成長しきり、その大きさで固定されているのだろうに、庵の身体からはまだ、ミチミチという異音が響き続けている。時折、ビシュッと皮膚が裂け、血が噴き出すのは、現状の体型を庵が維持するのに限界が生じているからだろう。
「――庵っ!」
 今にも泣き出しそうな悲鳴を上げ、手をさしのべた裂黒に応えたのは、庵の巨大な前肢による攻撃だった。あわや鈎爪付きの前肢に引き裂かれ、踏みつけられそうになったところを寸でに避け、裂黒は寝間を縁側に向けて転がった。同時に引き剥いだ夜着の下から現れたのは、忍者服にも似た裂黒の術士装束、兼、道着。爛々と光る目に宿る闘志と覚悟、その迷いのなさを見てとって、藤神は傲嵐に片手を振った。

【続く】

23:05 | SS | 稲葉