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2009 *05 14 トキメキ 〔14〕

 ……その頃、藤神邸がある隠れ里と位相を異にする同座標では、麒麟一族が忙しない朝を迎えていた。
続き
「せっ、雪麟(せつりん)! そちらです!」
「風早(かざはや)も、足下っ!」
 まだうら若き女性二人が足下を這い回る赤ん坊たちを捕らえようと形振り構わず四苦八苦している様は、ある意味で見物なのだが。当の本人達は、それどころの騒ぎではない。
 麒麟本家に現在、赤子は四人。しかも、それぞれが四神の務めを担うとあって、能力の潜在量は桁違いな上に成長が遅い。もっとも、それは当然のことではあるのだが、お陰で風属の長を退けたと思った風早は、今やすっかり麒麟家の子守頭だ。
「あああっ、絳星(こうせい)! 柱は燃やしちゃいけません!」
「玄淵(げんえん)、寒いのは解るけれど、甲羅に籠って出てこないのは駄目よ。冬眠してしまうわ!」
「虎咆(こほう)! 鎌鼬は玩具ではないと、あれほどっ!」
 上から順に。朱雀の座を持つ赤毛の女の子が寒いからと縁側の柱を燃やしにかかり、それを風早に止められた。その隣では玄武の座を持つ黒い亀の仔が、同じ理由から首と手足を縮めて甲羅の中にすっこもり、母の雪麟に逆さにして揺さぶられている(ちなみに北の守護・冬を司る当人が、それで良いのかとはツッコんでおく)。そして最後は白虎の座を占める白銀の虎の仔が、これは憐れ、家の火を消そうと真空刃を繰り出して目測を誤り、庭木を切り落としてしまったがための始末だった。とまぁ、こんな具合に毎度大騒動な朝の風景に、俄か暗雲の掻き曇り、空から雷鳴が轟き始めた。
 雷光一閃、鈎裂きに空を割った稲妻に撃たれたのは、他の三人の騒ぎに紛れ庭先から脱走しようとしていた青龍の仔。まだ蛟にもならぬ大きさの仔竜が、ピッ、という悲鳴も敢えなく黒焦げになり、庭の敷石の上に転がったのを見て、母親・雪麟は悲鳴を上げた。
「逆(げき)!」
 その声は、暗天から降る蹄の音に掻き消された。
 歩みは駿馬に似て、しかし若鹿の如く軽やかに、それでいて山羊のもののように鋭い独特の足音。蹄は地上の如何なる草木、虫獣も踏まず。額に戴いた角は他を害することを善しとせぬ証に肉皮で覆われている。身は鹿に似て、しかし斑紋はなく。尾は竜に似て、四肢の甲には鱗を持つ。鬣と相とは馬に似ると言う、毛皮を持つ獣の王。転じて、君主の徳と慈悲を体現すると言われた瑞獣。
 中でも現れるは最も稀と言われた、黒鋼の毛並みを持つ雄の個体――黒麒の姿がそこに在った。と、思うや否や、四肢を足踏みし、身を捩らせた黒麒は獣態を脱ぎ捨て、次の瞬間には長い黒髪を備えた美丈夫となって立ち尽くしていた。父親譲りの美貌、その酷薄な双眸を眇めて彼は言う。
「何と言う不様な。恥を知れッ!」
 一喝したは、仔の扱いにあぐねていた妻と配下ではなく、子ら自身であった。証拠に、父の怒気に当てられた何名かは反射的に本来の姿――それは成人とまではいかないまでも、明らかに赤子ではない形に戻り、末子である筈の虎咆ですら幼体を脱しようとしていたのだから。
 唯一の例外は、庭先で失神していた青龍の仔・逆だが、その彼にも父は容赦しなかった。再度、閃いた稲妻は、倒れ伏す彼の脇腹を打ち据え、
「雷麒(らいき)!」
 咎めるように夫の名を呼ぶ雪麟の腕より早く、小竜の身体を父の足下まで撥ね飛ばした。

【続く】

23:12 | SS | 稲葉