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2009 *05 01 トキメキ 〔1〕

 月の宮の朝は早い。と、言うよりも。昨夜の続きが今朝になるのだから、否応なしに早くなる。その、朝の主役であるところの愛佳(現ツクヨミ)は、絶好調ぷーたれていた。
続き
「いーや!絶対、ヤだ!」
 禊も済ませた軽装でベッドに横たわり、じたばたと両足を揺らしている様は、まるきり子供だ。そんな愛佳を前に、旦那であるところの由良は溜息しきりである。
「愛佳、…」
 宥める声に覇気がないのも無理からぬこと。この問答、これが初めてではないからだ。もう、かれこれ6百回程にはなろうか。
 ツクヨミの仕事は種々あるが、中でも日課としての務めに夜の祈りがある。『祈りの間』と呼ばれる一室に籠り、文字通り一晩中、不眠不休で祈りを捧げる訳なのだが。その祈りが明けた朝に、毎度毎度こうして愛佳はゴネるのだ。曰く、「愛してる! だから愛してちょーだい?」と。
 もちろん由良とて愛佳を愛していないわけではない。むしろ時間と愛佳の体力が許すものならば、それこそ一日中だって愛しあっていたい。しかし、それとこれとは話が別だ。愛する妻の身体を慮ればこそ夜更かし、もとい朝更かしなどせずに早く寝んで欲しい。
 大体、今の今まで不眠不休で祈り続けていたのではないのか。それでよく眠くないばかりか愛を乞う体力が残っているな、というのが由良の率直な意見だ。さては性根を据えて真面目に祈りを捧げていなかったな、などと旦那に疑われてまでいるとは露知らず、相変わらず愛佳は盛大に駄々を捏ね続けている。
「寝なさい」
「いーや!」
「寝なさい。」
「ヤっ!」
「寝なさい、」
「イヤン!」
「……」
 不毛な攻防も極まれりである。あまりのやり取りの馬鹿らしさに、頭痛を堪え額に手を当てた由良は、深々とした溜息と共に問い直した。
「だったら。いったいどうしたら寝てくれるんだ、オマエは。」
 その悲嘆混じりの唸り声を聞き、ここらが落とし処だと悟ったのだろう。愛佳は鼻先まで引き上げた掛布の端から、チロッと上目遣いの瞳を向け、愛らしい「おねだり」の口調で、こう言った。
「ちゅーして?」
 ちゃんと、よく眠れるように。と、そうまで言われてしまえば由良に逃げ場はない。元より否やもないのだが。
「……――、…」
 短く深く、何かを吹っ切るような溜息を、ひとつ。改めて愛佳の頭上に身を屈め直した由良は、まだ僅かな渋みを残したまま、こう言った。
「葉月も、喚ぶんだろう?」
 まったくもって妻の要望を心得た夫の問いに、愛佳は満面の笑みを浮かべ、コクコクと頷くのだった。

【続く】

22:18 | SS | 稲葉