「――待った。」
欲情の欠片もない、だからこそ逆に嗜虐めいた情欲をそそる冷淡な声で「待った」をかけた一成に、顎人は唸るような歯噛みをして口端を歪める。
「待てって言われて止まると思うか?」
コイツが、と既に力を得た股間のモノを見ても、一成はピクリとも眉を動かさなかった。そのやや眇めがちにした目付きと感情の片鱗も見えぬ冷たい表情に、顎人は嫌というほど見覚えがあった。
いつしか一成の姿は、まろやかな曲線美を帯びた女性体から、細身ながらも相応に鍛えられ、引き締まった筋肉を持つ男性体へと変わっている。
一成の持つ女性体よりも男性体の姿を好む者。そして仕える神たる自分の腕の中に居てでさえ、巫子である一成の意識を捉え、時にその肉体ですら支配下に置ける相手――その男の名を、顎人はたった一人しか知らなかった。
「……喚んでる」
青い瞳の焦点が茫と曖昧になり、煙るような翳りを帯びたのが早かったのか。それとも一成の右半顔にある深紅の刻印が、その逆三角の切っ先を目許から頬の半ばまで伸ばすのが先だったのか。次の瞬間、真っ白い閃光放つ流れ星となって一成は飛び立ち、後にはただ唖然とした素っ裸の顎人だけが残されたのだった。
「……やっぱり、そういうオチかッ! ド畜生――ッッ!」
天を裂く闘神の絶叫は、ただサワサワと世界樹の枝を揺らし、白い柴犬が飛び立った後の虚空を震わせていた。
その後、置き去りにされた顎人が黒虎姿に戻り、一成の本体たる世界樹の根元にある洞でフテ寝を決め込んだのは、言うまでもない。優しく降り注ぐ『癒しの葉』と、琥珀色の木洩れ日に、ちょっぴり気分を慰められながら。
【続く】