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2009 *06 07 トキメキ 〔38〕

 白い彗星が走り去った先――その空間に、月はなかった。射羽玉の、艶やかな闇が充ちる世界。あらゆるものが茫と輪郭を滲ませ、闇に融ける影と化す。そんな場所に、その砦はあった――通称・『影砦』。
続き
 この空間を統べるは、愛した女の嘆き故に黄泉返りを果たした真の死神。そして、この砦に棲まうは、彼より才ありと認められ、材を研かんと欲されし者。あるいは曰く有りて、幽閉されし者。出るは難く、入るは尚難き、その場所で二人、愁いを託つ者があった。
 緋色の垂布に朱の絨毯。いずれも毛足なめらかな天鵞絨の端々を金糸で飾る、絢爛たる装いの室内に侍るは二人の美姫。いずれ劣らぬ――と言うより互いに酷似した美貌を持つ、この二人はさもありなん、双子の生まれである一対の姉妹であった。
 やや吊り気味の眉に、同じく切れ長の双眸。整った顔立ちは花と呼ぶに相応しいが、いささか険が――さもなくば毒か棘かと思われる剣呑を裡に孕む。
 それも無理からぬこと。この双子の美姫が本性は火の気を持つ紅竜。しかも生来の質からして争いを好み、騒動を欲する、傍迷惑な両人であるために、影砦に幽閉の憂き目を見たという、曰く付きの女性らである。この二人がひとつ処に収まり、退屈故の愁いを託っているのなら、それは世間にとって平和かつ有難い話であるのかも知れなかった。
 さて、この二人 ――姉は朱紫(しゅし)、妹は紅紫(こうし)と言う。双子と言えど一卵性の常か、姉は些かおっとりめ。対する妹は、姉にのみ御し得る苛烈を裡に巧く覆い隠した腹黒さ、という取り合わせであった。その、姉が言う。
「――閑ねぇ…」
 気に入りの寝台に身を横たえながら、のんびりと宣う姉の言に、妹・紅紫の瞳が煌と光る。この姉が閑と宣う時は、とりもなおさず好みの血沸き肉踊る争いがなくて、つまらないという意味を表す。そしてそれは、往々にして双子の妹にしても、同じ退屈を胸に懐いている時が多いのである。
「そうね、退屈ね――…」
 口調ばかりはおっとりと、姉に合わせて紅紫も嘯く。しかし、某か思案を巡らせ、煌々と輝く瞳の色が、すべてを裏切っていた。
 それが気配だけで判るのは、さすが双子の姉。朱紫は、やおら寝台から身を乗り出し、傍らに座す紅紫の顔を覗きこむ。その眼には、何か妙案はないかとの期待が充ち溢れている。

【続く】

20:23 | SS | 稲葉