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2009 *06 20 白き焔 〔7〕

「ここから先は、通さない!」
 まだ幼さの残る声で言い切った秘女に、正体の露見した賊は小馬鹿にした表情で顎をしゃくった。明らかに「小娘ひとりに何が出来る」といった風情である。その侮りが、秘女にとっては絶好の機先であった。
続き
「てぇ~い!」
 いささか緊迫感に欠ける掛け声と共に展開されたのは、ルビーを板にしたような薄い遮断幕。それが秘女の張る結界だと気がついたのは、彼らがすっぽりと囲い込まれ、月の宮のあらゆる物質と遮断されてからであった。
 押しても引いても壊れない緋の紗幕を前に、無駄な努力を続けること暫し。ようやく事態を悟った賊たちは、顔色を変えて秘女に向き直った。と、そこで秘女も気づく。自らが犯した最大の失敗に。
「えぇ~? 嘘~!」
 結界の外で気遣わしげに眉宇を寄せる女官たちや、泣きじゃくる子供たちの姿を見るまでもない。己が賊と共に自ら張った結界の中に取り残されてしまったのだと悟った瞬間、嫌な汗が秘女の背中を伝った。
 彼女とて、伊達に皓子と共に雷閃の許で育てられたわけではない。戦闘能力も、今ここにいる女官たちとは比べ物にならないほど高いだろう。それでも初めての実戦で、しかも複数の敵相手にどこまで戦えるかは、正直に言って自信がなかった。
 しかし、やるしかない。もう一度、自分と子供たちを含む形で結界を張るにせよ、現在のこれを解かねばならない。如何に愚かな敵とはいえ、さっき学習したばかりだ。まさか同じ手に掛かってくれるとは思えない。次は何らかの対策を講じてくるだろう。
 それでなくとも、小娘と侮っていた相手にしてやられたのだ。賊たちは秘女を血祭りにあげると決めたらしい、禍々しい怒気を放って近寄ってくる。ここで結界を解けば、他の女官や子供たちにまで累が及ぶのは火を見るよりも明らかだ。そして唯一、結界を解かぬままに自分の傍に来られる皓子は、今ここにはいない。
 いつも傍に居られるわけではないのだからと気遣ってくれた彼女の言葉を、こんなにも早く噛みしめることになろうとは。悔やんでも仕方のない想いに刹那、耽った後、秘女は頭を切り換えてただ一人、賊と向き直った。
(皓子、皓子、皓子、皓子――!)
 繰り返す名前を、己を鼓舞する呪文に代えて。

【続く】

09:26 | SS | 稲葉