「おーおー、若いっていいねー」
などと宣いつつ、己も同じ程度には若いだろうという外見をした彼の名は藤神真人。少し癖のある跳ねっ毛を後ろで束ね、隆たる筋肉を惜しげもなく曝す忍者風装束で欄干に座す彼は、こう見えてアマテラス直属の護衛、兼、暗殺者だ。
そも暗殺という陰湿な遣り口を好まない当代アマテラスのこと、彼の立場は正確に言えば限りなく刺客に近いのだが。ごくたまに(いや、頻繁にか)自分は元より主人にとって邪魔だと感じた者を無断で滅殺してしまうこともあるので、ここはやはりアサシンと呼んでおくべきかも知れない。
その彼は、折角の護衛も置き去りに、単身、月の宮へと跳んだ主を追って、おっつけ外殿まで到着したのであった。――とまぁ、その辺は成り行きに等しい。護衛とて、放っておいたところで鬼より……とまでは言わないが、少なくとも鬼並みには強い青年が主人である。ましてや行き先が警備も万全の月の宮・その奥殿ともなれば、おっとり刀で駆けつけるだけ馬鹿らしいと言うものだ。
それでも彼が律義に月の宮を訪れ、こうして他人の濡れ場をデバガメしつつ時間を潰しているその訳は――。
「珍しいな、真人」
月の宮に何の用だ? そう、冷淡な調子で投げ掛けられた声に、真人は勢い良く振り返った。
外殿中二階の回廊を、足下に狼従え歩み来る影は、彼の義母にして誰より愛し慈しむ女・藤神祐子だ。ちなみに彼女が従える大型の狼とは、その夫にして式神という稀有な下僕・傲嵐であるのは今さら付け加えるまでもない。当代ツクヨミの対たる死神夫婦、殊に妻の方に逢いたいがための真人の徒労であった。
意中の相手に逢えた喜色などおくびにも洩らさず(そんなことをしようものなら、この手厳しい義母に何と言って詰られるか知れない)憂鬱な面持ちのまま真人は、ものも言わずクイクイと奥殿の方角を親指で示して見せる。それだけですべてを悟り、しかつめらしく渋面になった妻の代わり、獣態を解き人型となった夫が、ゆらり床から身を起こし、おかしげな笑みで片頬を歪めた。
「葉月か。」
低く洩らされた呟きは、半ば妻の代弁であったろう。ついでチロリ、と真人を見た傲嵐は、ニヤと笑う口角を深め、彼に向けて嘯いた。
「オマエさんも、ご苦労なこったな」
それが何に宛てた労いであるか解っている真人は、「まぁね」と軽く受け流して義父の言葉にヒラヒラと手を振った。
「祐子は、なに?今から父ちゃんと仕事?」
問われて祐子と傲嵐は互いに顔を見合わせ、微かに笑った。
「その、逆だ。」
「昨夜の内に一仕事終わったからな。報告も兼ねて顔見せに、な」
と言いつつ、その実、月の宮にも少なからずいる自分の子供たちが心配で睨みを効かせに、もとい様子見に来たのだろうということは聞かずと知れる。殊に義母の心配性には泣かされてきた真人なのだから……。
そうこうする内に外殿の扉が開き、出陣を知らせる銅鑼の音が鳴り響き始める。
「おーおー、心配そうな顔しちまってまぁ。あの殺したって死にそうにねぇ皓子が、秘女を遺して逝くかってんだよなぁ」
我が子に対するものとも思われぬ傲嵐の野放図な物言いは、壇上の母・階下の娘、双方からの冷たい眼差しによって黙殺された。
【続く】