log

2009 *05 07 トキメキ 〔7〕

「――帰ろう、傲嵐…」
 差し伸べられた手を受け、祐子の腰を抱き寄せた傲嵐は、その柔らかな肌と頬ずりを交わした後、
「あぁ、…」
 スルリと人身を解いて獣態に戻った。
続き
 彼女を抱き締めるように身をくねらせ、腹と背筋を擦り付けるのは、いつもの癖。全身を撫で上げる宵闇色の毛皮に包まれ、祐子が心地好さに身を震わせた刹那、二人の姿は忽然とテラスの上から掻き消えていた。それが、足下に開いた傲嵐の暗星通路による移動だと解る者は、ごく限られた少数しかいない。
 そうして消えた夫妻の姿を、偶然に見ていた影がある。
「……いいなぁ、…」
 行儀と年頃さえ許せば、人さし指くわえて呟いていそうな声をあげたのは、双緋(そうひ)。白に近い朱鷺色の髪に濡れたカーネリアンの瞳を持つ、色白の乙女だった。
「良いって、何が?」
 おっとりと背後から問い返すのは、癖のある紺の髪を短めに刈り揃え、濃紺の戦装束に身を固めた青年。けして厳つい印象は受けないが、見る者が見れば存分に鍛え上げられ、引き締められた結果だと解る彼の体格と比べれば、先の乙女の身体つきは殊更、華奢なように映った。
 青年の名は采藍(さいらん)。二人は双子の兄妹にして夫婦の契りを交わした、相思相愛の一対だった。
「良いって、――?」
 繰り返し問いかけた采藍の言葉が尽きる前に、するり絡んだのは双緋の細腕。鋼の艶に鈍く照り映える濃紺の胴鎧に頬を押し当て、鏃避けの呪いも意味する細緻な彫刻模様に双緋は切なく指を這わせた。
 羨んだのは、ふたつの想い。ひとつは互いに愛し合い、慈しみ合う夫婦の、いっそ淫靡とすら言って良い程の抱擁の姿。そして、もうひとつは――…
「私も采藍と、一緒に行けたら良いのに」
 ぽつりと呟かれた科白を、聞き洩らさず耳に入れた采藍は、困ったような苦いものを噛んでしまったような顔をして黙り込んだ。
 一緒に行く――言葉だけなら簡単だ。いついかなる時にも共に在り、行動を同じくする。しかし今の采藍の装束を見ても解る通り、これから彼が向かうのは戦場だ。そして双緋には、そこに立つ資格がない。
 彼女とて、戦闘能力は皆無ではない。だが、月の宮に住まう一族の所謂、子供世代の中でも一、二を争う実力者である采藍には遠く及ばない。無理を押してついて行ったところで、足手纏いになるのが関の山だ。それは双緋にも解っているのだ。
 ……それでも尚、と願わずにはおれないからこそ、彼女は祐子に憧れる。夫や情人、時には義理の息子すら下僕と従え戦場に立つ、苛烈な美女の姿を。

【続く】

00:20 | SS | 稲葉